2024年4月より中野医師の診察が月曜日のみとなりました。患者様にはご不便をおかけしますが、ご確認よろしくお願いいたします。

漢方薬とTRPチャネル

漢方薬とTRPチャネル

「要旨」

古来より人間は植物から薬を見出してきた。中国には神農が草木を味わって漢方薬を分類したという伝説がある。分類の基準は寒・涼・平・温・熱の五気と酸・鹹・甘・苦・辛の五味である。現代科学は、生薬の気味(五気、五味)の実態を温度感受性TRP(Transient Receptor Potential)チャネルによって明らかにしようとしている。多くの生薬を含む植物化合物が特定のTRPチャネルと相互作用し、その結果、人体の感知機構を調節していることが明らかになってきた。その中でも、TRPV1,TRPV2,TRPA1チャネルは温度刺激による痛み受容と関係している。その阻害薬は鎮痛剤の創薬につながるとして研究されてきたが、22年経っても実現していない。その理由の一つが大きな副作用である。もう一つの理由はTRPチャネルは種の特異性が高く、げっ歯類の研究がすぐにヒトに当てはまらない。一方、漢方医学は2000年以上の経験医学として、数々の方剤を作り出している。その基本方剤の一つである桂枝湯の構成生薬の中で、生姜と桂枝はそれぞれTRPV1とTRPA1の活性剤であることがわかってきた。今回はTRPチャネルとは何か、TRPチャネルと生姜、桂枝の関係を中心に考察した。

「緒言」

『経方医学』の著者・江部洋一郎によると(1)、「生姜・甘草・大棗は日本では室町時代、中国では宋代以降になると、一部の処方集においてメイン料理に対する薬味の位置に置かれるようになった。これは、『傷寒論』の内容を理解できない人々の愚かさを証明するものである。『傷寒論』はある意味ではまさに、生姜・甘草・大棗を主軸にして展開されている世界であるにもかかわらず、それを味付け程度に扱っているので、主客転倒している」とまで言い切っている。

古代中国では桂皮、芍薬、生姜、甘草、大棗は薬味、味付けとして使われていたが、時を経て桂枝湯という方剤として発展した。伊尹から始まり張仲景により完成したのが『傷寒雑病論』である。薬味から薬証、それに基づく方剤の形成過程を無視して、漢方方剤の理解はない。

中国古代には食事治療専門医がいたという。戦国時代末期に成立したのではないかとされる『周礼』の中に天官に定める医師四種の記載がある。高位の順に食医・疾医(内科医)・瘍医(外科医)・獣医がある。その筆頭は食医で、王の食事を調理するのに「春に酸を多く、夏に苦を多く、秋に辛を多く、冬に鹹を多く、調えるに甘滑」と五味を重視した。食医に次ぐ疾医(内科医)にも「五味・五穀・五薬を以てその病を養う」とある。これに次ぐ瘍医(外科医)では「五毒を以てこれを攻め、五気を以てこれを養い、五薬を以てこれを療し、五味を以てこれを節す」で、やはり五味をいう。五味による治療がないのは第四番目の獣医だけである(2)。

一世紀の『神農本草経』は序録で「薬に酸鹹甘苦辛の五味あり」といい、各薬にも五味を規定した。すなわち、漢方における薬味は、酸・苦・甘・辛・鹹(カン、塩辛い)味の5種類に分けられる。また、体内を冷やしたり温めたりする効果(薬性)を表す「寒」「涼」「平」「温」「熱」の五種類から成る「五気」という考え方もある。この五気五味を生薬の気味という。

渡邊武は『平成薬証論』において生薬を気剤(辛温)、血剤(苦寒・甘温)、水剤(苦平)そして脾胃剤(甘平)に分類している。したがって、桂枝湯は辛温の気剤(桂枝と生姜)、苦平の水剤(芍薬)と甘平の脾胃剤(大棗と甘草)によって組み立てられていると述べている(3)。

芍薬の気味は苦平で問題ないが、水剤とは議論が必要である。生姜は脾胃剤に入ると思っていたが、気剤に分類されている。気剤には辛温の桂枝をはじめ、呉茱萸、山椒、薄荷などがあげられている。これらの分類が近年、科学的にもTRPチャネルを通して正しいことが立証されつつある。

気剤とTRPチャネル

気剤に含まれる生薬はいずれも、ピリッと辛いスパイスである。この辛味は『神農本草経』の五味(酸・苦・甘・辛・鹹)に含まれている。神農が薬草を口にいれ、5味5気に分類したと言われるが、神農でなくても古代人の五感は我々現代人に比べて優れていたと思われる。742年唐の僧、鑑真は渡日し、仏教並びに中国医学を直接指導した(4)。彼は11年の歳月をかけ6回目の航海で日本に到着し、その時には目が見えなくなっていた。30種類の生薬もたずさえてきたが、盲目の彼は味と臭いですべてを鑑別していたのであろう。

現在の味の基本五味は「辛味」の代わりに「うま味」を入れている。なぜなら、受容体が異なるからである。基本五味は舌の味蕾にある味細胞に発現する受容体に作用するのに対して,辛味の受容体は味蕾ではなく、口腔上皮の感覚神経終末に発現する受容体に作用する。1977年にDavid Julius らのグループはこの受容体を発見し、それが辛味を感じさせるTRPV1チャネルであると明らかにした。その後、他のTRPチャネルも次々と発見され、それぞれ特定の感覚に対する感受性を持つことが明らかにされた。たとえば、TRPM8は冷たさを感じる受容体であり、TRPA1は硫化アリル(生姜やニンニクに含まれる成分)や辛味物質に反応する受容体である。これらのTRPチャネルは、感覚神経の終末に位置しており、その神経が脳へと情報を送ることで私たちはさまざまな感覚を体験するのである。

TRPチャネルはその名の通り一時的な受容体であり、特定の刺激を受けると一時的に開いてイオンの流れを許し、神経細胞の膜電位を変化させる。その結果、神経信号が発生し、それが脳に伝わることで感覚が生じる。TRPチャネルはこのような感覚伝達の最前線に位置しており、その活性化や阻害によって私たちはさまざまな感覚を体験するのである。

漢方薬の中にもTRPチャネルに作用する成分が含まれており、それが漢方薬が人体に与える効果の一部を担っていると考えられている。たとえば、前述した桂枝湯の成分である生姜と桂枝はそれぞれTRPV1とTRPA1の活性化剤であり、これらの成分が感覚神経に作用して体感温度を上昇させる効果をもたらす。また、TRPチャネルを阻害する成分が含まれている薬もあり、それらは痛みを和らげる効果を持つとされている。

以上のように、TRPチャネルは我々の感覚体験と深く関わっており、その機能の理解は感覚神経の研究だけでなく、漢方薬の効果解析にも寄与することが期待されている。また、TRPチャネルを標的とした新たな薬剤の開発も進められており、その成功は新たな治療法の開拓につながる可能性を秘めている。しかしながら、TRPチャネルの研究はまだ始まったばかりであり、今後の研究の進展が待たれている。