古代中国医学とギリシャ医学は、どちらも「気の思想」を根底に持っていました。しかし、ギリシャや西洋医学では解剖学の発展とともに、「気の思想」は消散しました。
「気の思想」を根底に持つ『傷寒論』は、張仲景が黄帝内経の医学理論を背景に著し、その理論は桂枝湯ならびにその加味方から展開されました。しかし、漢方を学ぶ初心者は桂枝湯の重要性に気づかないことが多いです。
この状況は、昔の中国でも同じでした。唐代の著名な医薬学者孫思邈(581~682)は「桂枝湯は最も理解されていない方剤であり、それゆえその価値が低く見積もられている」と述べていました。
日本でも安政三年(1856 年)、尾台榕堂が刊行した『類聚方広義』には以下のように記載されています。
「桂枝湯は傷寒論の桂枝湯から始まり、雑病論の栝蔞桂枝湯に発展する蓋し経方の権輿である。それは偶然ではない。仲景の方剤は全体で二百余し、その中で桂枝を用いるものはほぼ六十方、その中で桂枝を主薬とするものは三十方にも及ぶ。これは他の方剤と比較して変化が最も多いことを示している。」
漢方初学者にとって、桂枝湯を深く解説した教科書はほとんど見当たらず、唯一その重要性を説いた教科書は江部洋一郎の著した「経方医学」だけでした。しかし、彼の経方医学は難解で、初心者には理解しにくい。その理由は、江部先生が『黄帝内経』や『傷寒論』の古典を十分に読みこなしている一方、初心者はその基礎事項をマスターしていないからだと思われます。
桂枝湯を通じて、東洋医学の基礎を学びながら『経方医学』をマスターしましょう。
ちなみに『経方医学』とは、古代中国の医学書「傷寒論」と「金匱要略」を基本とする漢方医学の一流派です。後世の解釈を避け、原典に忠実に従うことを特徴とします。江部氏の経方医学はその中でも、気の流れを中心に傷寒・金匱を解説しています。
桂枝湯の歴史
桂枝湯の創作は、商代(紀元前1700~1100年)の湯王の大臣であった伊尹によるものという伝説があります。
『史記』は中国の前漢の武帝の時代に、司馬遷によって編纂された歴史書であり、その中には「伊尹、滋味を以って湯を説く」と記されています。また、前漢の時代に存在した典籍を記録、分類した『漢書』芸文志の『湯液経法』にも、以下のように述べられています。「伊尹、神農本草を専用し以って湯液となす…仲景論じて伊尹湯液を広むること数十巻、之をもちいて効き目を大くす」(1)。
伊尹はもともと料理役で、料理に例えて湯王に政治を説き、宰相に任命されました。後に湯王を助けて夏の桀王を討ち滅ぼし、殷王朝の創設に貢献したとされています(2)。同時に、医学に精通し、料理の知識と経験を薬物調剤に活用し、湯液療法の基礎を築いたと考えられます。
桂皮、芍薬、生姜、甘草、大棗は、古代のスープ料理に頻繁に使用される調味料でした。これらから桂枝湯が生まれたと考えると矛盾はありません。
古い時代には、これらの調味料で作られたお粥が風邪の際に食べられていたかもしれません。時間が経つと、まず桂枝湯を飲んでからお粥を食べるという習慣が生まれました。これは傷寒論に記されている「服已須臾,歃熱稀粥一升余,以助薬力」についての記述が示唆する通りです。桂枝湯は薬と食事が一体となった(医食同源)始まりであり、湯液の起源で、「群方の冠」とも言えます。
桂枝湯の構成とその加減法から学ばずとして、どうして漢方がマスターできよう。
食医の存在と五味の重要性
中国古代には食事治療の専門医が存在したとされています。戦国時代末期に成立したと考えられている『周礼』には、天官に指定された四種類の医師が記載されています。
その中でも最初に挙げられているのは食医で、王の食事を調理する際には、「春には酸っぱいものを多く、夏には苦いものを多く、秋には辛いものを多く、冬には塩辛いものを多く、そして全体的に甘く滑らかに調理する」という五味を重視した方法が採用されていました。
次に挙げられている疾医(内科医)でも、「五味・五穀・五薬を用いて病を養う」と記述されています。
さらに次に示されている瘍医(外科医)では、「五毒を用いて攻め、五気を用いて養い、五薬を用いて治し、五味を用いて節す」とあり、ここでも五味が重要であるとされています。五味による治療が記されていないのは、四番目の獣医だけです。
食医は、薬物よりも穏やかな効果を持つ食物を用いて、この五味の概念を最重要視する予防や治療を実践していた可能性があるという。(真柳誠「医食同源の思想-成立と展開」『しにか』9 巻10 号72-77 頁、1998 年10 月)
『神農本草経』という一世紀の文献では、「薬に酸鹹甘苦辛の五味あり」と述べており、各薬にも五味が規定されている。つまり、漢方薬では、酸・鹹(塩辛い)・苦・甘・辛の5 種類に薬味が分けられる。さらに、「寒」「涼」「平」「温」「熱」の五種類で体内を冷やしたり温めたりする効果(薬性)を表す「五気」という考え方も存在する。これらの五気五味を生薬の気味と呼ぶ。
神農が薬草を口に入れて5味5気に分類したという伝説が存在する。しかし、神農でなくても、古代人の五感は現代人に比べて優れていたと考えられる。
例えば、742年に唐の僧、鑑真が日本へ渡り、直接仏教と中国医学を指導しました(4)。彼は11年間かけて6回目の航海で日本に到着しましたが、その時にはすでに視力を失っていました。彼が持ち込んだ30種類の生薬は、彼自身が味と臭いで全てを鑑別していたと考えられます。
五味の概念に基づくと、桂皮は甘辛、芍薬は苦平、生姜は辛、大棗は甘平、甘草は甘平となります。
渡邊武は『平成薬証論』で、生薬を気剤(辛温)、血剤(苦寒・甘温)、水剤(苦平)、そして脾胃剤(甘平)に分類しています。
従って、「桂枝湯は、辛温の気剤(桂枝と生姜)、苦平の水剤(芍薬)、そして甘平の脾胃剤(大棗と甘草)によって構成されている」と述べています(3)。芍薬の気味は苦平で問題ないですが、水剤としての分類には議論の余地があります。生姜については、脾胃剤と思われていましたが、気剤に分類されています。気剤には、辛温の桂枝をはじめ、呉茱萸、山椒、薄荷などが含まれています。これらの分類が、最近科学的にもTRPチャネルを通じて正確であることが証明されつつあります。詳細については、後ほど述べます。
桂枝湯の構成
桂枝湯の構成生薬とそのベクトルは以下の通りです。
上図は江部経方医学の真骨頂である桂枝湯を構成する5つの生薬(桂皮・芍薬・生姜・大棗)の気の流れをベクトルで解説した図です。
「廿草の一番大事な作用は, 胃気を補う作用と, 胃気を守る作用です。傷寒・金匿において, 甘草は菫要な生薬なのですが, 日本では室町時代
胃気とは何か?
傷寒論はある意味、胃気を中心に書かれているといってもいいでしょう。すなわち、傷寒論の中心テーマである邪正闘争を担う「正気」の主体は胃気です。傷寒論の条文は、すべて胃気のさまざまな状態を軸に展開されると言っても過言ではありません。
胃気が産生され、全身に十分に供給されることで、他の臓腑や器官が働き、身体が生きている状態を保てます。