2024年4月より中野医師の診察が月曜日のみとなりました。患者様にはご不便をおかけしますが、ご確認よろしくお願いいたします。

桂枝湯

古代中国医学とギリシャ医学は、どちらも「気の思想」を根底に持っていました。しかし、ギリシャや西洋医学では解剖学の発展とともに、「気の思想」は消散しました。

「気の思想」を根底に持つ『傷寒論』は、張仲景が黄帝内経の医学理論を背景に著し、その理論は桂枝湯ならびにその加味方から展開されました。しかし、漢方を学ぶ初心者はその重要性に気づかないことが多いです。

この状況は、昔の中国でも同じでした。唐代の著名な医薬学者孫思邈(581~682)は「桂枝湯は最も理解されていない方剤であり、それゆえその価値が低く見積もられている」と述べていました。

日本でも安政三年(1856 年)、尾台榕堂が刊行した『類聚方広義』には以下のように記載されています。

「桂枝湯は傷寒論の桂枝湯から始まり、雑病論の栝蔞桂枝湯に発展する蓋し経方の権輿である。それは偶然ではない。仲景の方剤は全体で二百余し、その中で桂枝を用いるものはほぼ六十方、その中で桂枝を主薬とするものは三十方にも及ぶ。これは他の方剤と比較して変化が最も多いことを示している。」

漢方初学者にとって、桂枝湯を深く解説した教科書はほとんど見当たらず、唯一その重要性を説いた教科書は江部洋一郎の著した「経方医学」だけでした。しかし、彼の経方医学は難解で、初心者には理解しにくい。その理由は、我々が学んだ西洋医学、特に解剖学との違いがあり、馴染みにくいからです。

私の立場は、『傷寒論・金匱要略』を現代医学のフィルターを通して、その真実を知ることです。

**桂枝湯の歴史**

桂枝湯の創作は、商代(紀元前1700~1100年)の湯王の大臣であった伊尹によるものという伝説があります。

『史記』は中国の前漢の武帝の時代に、司馬遷によって編纂された歴史書であり、その中には「伊尹、滋味を以って湯を説く」と記されています。また、前漢の時代に存在した典籍を記録、分類した『漢書』芸文志の『湯液経法』にも、以下のように述べられています。「伊尹、神農本草を専用し以って湯液となす…仲景論じて伊尹湯液を広むること数十巻、之をもちいて効き目を大くす」(1)。

伊尹はもともと料理役で、料理に例えて湯王に政治を説き、宰相に任命されました。後に湯王を助けて夏の桀王を討ち滅ぼし、殷王朝の創設に貢献したとされています(2)。同時に、医学に精通し、料理の知識と経験を薬物調剤に活用し、湯液療法の基礎を築いたと考えられます。

桂皮、芍薬、生姜、甘草、大棗は、古代のスープ料理に頻繁に使用される調味料でした。これらから桂枝湯が生まれたと考えると矛盾はありません。

古い時代には、これらの調味料で作られたお粥が風邪の際に食べられていたかもしれません。時間が経つと、まず桂枝湯を飲んでからお粥を食べるという習慣が生まれました。これは傷寒論に記されている「服已須臾,歃熱稀粥一升余,以助薬力」についての記述が示唆する通りです。桂枝湯は薬と食事が一体となった(医食同源)始まりであり、湯液の起源で、「群方の冠」とも言えます。

桂枝湯加減法から学ばずとして、どうして漢方がマスターできよう。

入江祥史氏が桂枝湯とパウンドケーキの比較について述べた文章を紹介します。

パウンドケーキは18世紀初頭にイギリスで生まれたケーキで、その名前は小麦粉、バター、砂糖、卵を1ポンドずつ、同量使用することからきています。これは洋菓子作りの基本であり、マドレーヌ、フィナンシェ、バウムクーヘンなど、どれも素材は似ており、小麦粉、砂糖、卵、バターが共通しています。これらはいわばパウンドケーキのバリエーションで、パティシエたちは、まずこの少ない材料の特性を理解し、パウンドケーキ作りを自身に徹底的に教え込むことから始めます。それから、配合を微妙に変えたり、他の材料を少し足したりして、多様な世界を生み出すことができるようになると思います。

同じように、傷寒論も基本的な材料の特性を理解し、それを基にバリエーションを作り出すための漢方の手引書と考えることができます。これは、「桂枝、甘草、生姜、大棗、芍薬といった生薬はこのように、桂枝湯、桂枝なんちゃら湯はこのように使うんだよ」という具体的な指示があるからです。

桂枝湯とパウンドケーキの重さは全く異なるが、その比較は適切だと思います。桂枝湯を自在に使えない人が漢方処方をするのは、パウンドケーキも満足に作れない人が洋菓子店を開くのと同じだと考えています。つまり、パウンドケーキをマスターすれば、それにイチゴをトッピングしたり、チーズを加えたりすればいい。これが桂枝湯加減方の始まりなのです。

**食医の存在と五味の重要性**

中国古代には食事治療の専門医が存在したとされています。戦国時代末期に成立したと考えられている『周礼』には、天官に指定された四種類の医師が記載されています。

その中でも最初に挙げられているのは食医で、王の食事を調理する際には、「春には酸っぱいものを多く、夏には苦いものを多く、秋には辛いものを多く、冬には塩辛いものを多く、そして全体的に甘く滑らかに調理する」という五味を重視した方法が採用されていました。

次に挙げられている疾医(内科医)でも、「五味・五穀・五薬を用いて病を養う」と記述されています。

さらに次に示されている瘍医(外科医)では、「五毒を用いて攻め、五気を用いて養い、五薬を用いて治し、五味を用いて節す」とあり、ここでも五味が重要であるとされています。五味による治療が記されていないのは、四番目の獣医だけです。

食医は、薬物よりも穏やかな効果を持つ食物を用いて、この五味の概念を最重要視する予防や治療を実践していた可能性があるという。(真柳誠「医食同源の思想-成立と展開」『しにか』9 巻10 号72-77 頁、1998 年10 月)

『神農本草経』という一世紀の文献では、「薬に酸鹹甘苦辛の五味あり」と述べており、各薬にも五味が規定されている。つまり、漢方薬では、酸・鹹(塩辛い)・苦・甘・辛の5 種類に薬味が分けられる。さらに、「寒」「涼」「平」「温」「熱」の五種類で体内を冷やしたり温めたりする効果(薬性)を表す「五気」という考え方も存在する。これらの五気五味を生薬の気味と呼ぶ。

神農が薬草を口に入れて5味5気に分類したという伝説が存在する。しかし、神農でなくても、古代人の五感は現代人に比べて優れていたと考えられる。

例えば、742年に唐の僧、鑑真が日本へ渡り、直接仏教と中国医学を指導しました(4)。彼は11年間かけて6回目の航海で日本に到着しましたが、その時にはすでに視力を失っていました。彼が持ち込んだ30種類の生薬は、彼自身が味と臭いで全てを鑑別していたと考えられます。

五味の概念に基づくと、桂皮は甘辛、芍薬は苦平、生姜は辛、大棗は甘平、甘草は甘平となります。

渡邊武は『平成薬証論』で、生薬を気剤(辛温)、血剤(苦寒・甘温)、水剤(苦平)、そして脾胃剤(甘平)に分類しています。

従って、「桂枝湯は、辛温の気剤(桂枝と生姜)、苦平の水剤(芍薬)、そして甘平の脾胃剤(大棗と甘草)によって構成されている」と述べています(3)。芍薬の気味は苦平で問題ないですが、水剤としての分類には議論の余地があります。生姜については、脾胃剤と思われていましたが、気剤に分類されています。気剤には、辛温の桂枝をはじめ、呉茱萸、山椒、薄荷などが含まれています。これらの分類が、最近科学的にもTRPチャネルを通じて正確であることが証明されつつあります。詳細については、後ほど述べます。

**桂枝湯証**

桂枝湯証は、風邪の存在する桂枝湯証(太陽中風証)、風邪の存在しない桂枝湯証(営衛不和証)の2つに分けることができます。

**1.風邪の存在する桂枝湯証(太陽中風証)**

!https://prod-files-secure.s3.us-west-2.amazonaws.com/962d9f14-efe1-40ae-a62b-cf596616af79/60337f22-352d-43ff-abef-37776c9f95c9/image1.png

!https://prod-files-secure.s3.us-west-2.amazonaws.com/962d9f14-efe1-40ae-a62b-cf596616af79/55977e89-0406-406f-ae5f-837f74aefcd6/image2.png

ここで「太陽中風証」という言葉が出てきましたが、これは傷寒論における風寒邪の人体への侵入過程を六経に分類したものです。「六経」は「三陰三陽」を指します。

現代の中医学では、「傷寒論」の六経病変は「臓腑経絡学説」に基づいて理解されます。この学説では、「邪が六経に侵入すると、影響が該当する経絡、経絡の所属する臓腑に及び、臓腑の生理機能が失調する」と考えられています。

しかし、傷寒論には「六経」という言葉は存在しません。「六経」は後世の人が、「太陽」・「陽明」・「少陽」・「太陰」・「少陰」・「厥陰」(三陰三陽)を省略した呼び名です。正確には、「六経」は「三陰三陽」、「六経弁証」は「三陰三陽弁証」と言うべきです(裴永清)。

**2.風邪の存在しない桂枝湯証(営衛不和証)**

**桂枝湯は営衛不和を調和する**

桂枝湯、さらには中国医学全体を理解する上で、”営気”と”衛気”の理解は不可欠です。

気とは、本来は「氣」と書きます。これは米を食べて生じるものを指します。

この気の中で、血管内を流れる気を「営気」、血管外を流れる気を「衛気」と呼びます。

「素問」痺論には「営は水穀の精気なり」とあり、また「霊枢」営衛生会篇には、「穀は胃に入り、肺に伝う。五臟六腑は気を受け取る。清いものを営とし、濁ったものを衛とする。営は脈中にあり、衛は脈外にある」と記述されています。

「靈枢」邪客篇には、「営気は津液を分泌し、これを脈に注ぎ、血に変える。これで四肢を養い、内部では五臟六腑に注ぐ」と書かれています。

一方、「素問」痺論によると「衛は水穀の悍気なり。その気慄疾滑利にして脈に入ること能わざるなり。ゆえに皮膚の中、分肉の間に循って肓膜に熏じ、胸腹に散ず」とあります。

営気が流れる血管系については、西洋医学はガレノスからハーベイに至るまで素晴らしい発展を遂げています。血管系の治療に関しては、西洋医学が東洋医学より進んでいるのは明らかです。一方で、衛気が流れる血管外の理解については、西洋医学は進展が遅く、リンパ管の発見は17世紀まで待たなければなりませんでした。20世紀になって、リンパ学がようやく注目されるようになりました。

**間質に衛気がながれる**

21世紀に入り、衛気が流れる脈外について、西洋医学から新たな発見が報告されました。2018年3月27日には、米国ニューヨーク大学医学部を中心にした研究者たちが科学誌『Scientific Reports』に「これまで人間の皮膚が最大の器官と認識されていたが、それよりも大きな器官を発見した」と発表しました(2)。これは、胆道癌患者の手術前の内視鏡検査により、従来の組織診断では見過ごされていた「間質Interstitium」を偶然発見したというものでした。使用された内視鏡は、プローブ型共焦点レーザーエンドマイクロスコープ(Confocal laser endomicroscopy, pCLE)という高性能な顕微鏡で、生きたままの組織が観察できるのです。これまで、体重の約20%に相当する体液で満たされた細胞と細胞の間の組織は、間質と呼ばれていました。しかし、これは単なる結合組織と見なされ、特定の役割があるとは考えられていませんでした。これは、顕微鏡標本を作成した際に間質液が流されてしまうためでした。

しかし、新たな研究により、間質が強度の高いコラーゲンと柔軟性のあるエラスチンによる網目構造で支えられ、体液の移動通路として働くことが明らかになりました(図1)。

!https://prod-files-secure.s3.us-west-2.amazonaws.com/962d9f14-efe1-40ae-a62b-cf596616af79/f1a6dff5-2f46-4145-b8e7-d8eca12f6034/image3.png

驚くべきことに、この体液はリンパ系と接続しており、免疫機構に関与している可能性が示唆されました。この間質は全身に広がっています。皮下の真皮、リズミックに収縮する食道、胃、小腸、大腸、肺、膀胱の粘膜下層、動脈、静脈、気管支、筋膜周囲の軟部組織に存在します。

間質腔には、体液が流れ、相互に連結する区画が全身にネットワーク化されています。筆者らはこれを間質と呼び、人体組織の最大の器官であると提唱しています。

この間質腔を流れるものが、衛気と考えられます。

皮膚は体を外界から守ります。その中に流れる衛気について考察しましょう(図2)。

皮膚の構造

!https://prod-files-secure.s3.us-west-2.amazonaws.com/962d9f14-efe1-40ae-a62b-cf596616af79/405eba8a-5924-4f71-8115-ba3a361cf769/image4.png

皮膚の構造は外側から内側に向かって、表皮(Epidermis)、真皮(Dermis)、皮下組織(Hypodermis)が存在します。衛気が主に流れるのは真皮内の間質です。

真皮は、表皮と皮下組織の間に存在する結合組織層で、血管系、神経終末、毛包、汗腺などを含んでいます。これらは表皮と皮下組織を支え、保護し、体温調節と感覚を助ける役割を果たします。

真皮内の一次細胞である線維芽細胞は、組織球、肥満細胞、脂肪細胞と共に、真皮の正常な構造と機能の維持に重要な役割を担っています。

真皮は、表皮の深部に位置し、皮下脂肪層の表面に存在する間葉起源の結合組織層です。その組成は主に繊維状で、コラーゲンと弾性繊維の両方から成り立っています。その隙間、すなわち間質で、間質液が流れていることが顕微鏡観察で確認されています。

真皮はさらに、乳頭真皮と網状真皮の2つの層に分かれています。乳頭真皮は表皮の深部に位置し、血管が多い疎性結合組織で構成されています。一方、網状層はさらに深部にあり、真皮の大部分を占める高密度の結合組織の厚い層を形成しています。

さて、以上の解剖知識で栄衛不和を解説したいが、例として蕁麻疹をあげたい(図3)。

蕁麻疹と営衛不和

!https://prod-files-secure.s3.us-west-2.amazonaws.com/962d9f14-efe1-40ae-a62b-cf596616af79/af2b3cad-9721-435c-84c2-46592daea4cb/image5.png

蕁麻疹では、一般的に皮膚の肥満細胞が何らかのメカニズムにより脱顆粒化し、皮膚組織内に放出されたヒスタミンなどの化学伝達物質が皮膚の微小血管と神経に作用します。これにより血管が拡張し(紅斑)、血漿成分が漏出(膨疹)、そして痒みが生じます。蕁麻疹におけるマスト細胞活性化のメカニズムとしては、I型アレルギーが広く知られていますが、実際に特定の抗原を原因として同定できることは少ないとされています。この肥満細胞は真皮の乳頭層の毛細血管の周囲に存在します。これを東洋医学の言葉で言い換えれば、栄のそばの衛に存在すると言えます。

『内経』によれば、「衛気は日中は表に出てきて表を巡り、邪気の侵入を防衛し、夜になると陰である裏に潜り、五臓六腑を潤す」とされています。日本皮膚科学会のウェブサイト(https://www.dermatol.or.jp/qa/qa9/q08.html)では、「慢性蕁麻疹では、ほとんどの場合、原因を明らかにすることはできません。多くの場合、夕方から夜にかけて現れ、翌朝あるいは翌日の午前中頃には消失し、再び夕方から出始める」と一般向けに説明されています。これはまさに『内経』の衛気の記述通りの経過です。

夜になり皮膚の衛気が減少したとき、何らかの原因(邪気)により肥満細胞から放出されるヒスタミンなどの化学伝達物質が皮膚の微小血管と神経に作用します。これにより血管拡張(紅斑)、血漿成分の漏出(膨疹)、そして痒みが発生します。この血管拡張と血漿成分の漏出状態は、栄の病態と考えられ、営衛不和の状態であると解釈するのは無理があるでしょうか?

**桂枝湯と営衛不和**

蕁麻疹を営衛不和の例として挙げましたが、桂枝湯が営衛不和を調和させるものであるならば、桂枝湯は蕁麻疹に有効と考えられます。私自身は治験例がありませんが、皮膚科医の二宮文乃先生は、蕁麻疹の表証の治療に桂枝湯の加味方である桂枝加龍骨牡蛎湯が有効であると発表しています(5)。

**桂枝湯はどうして営衛不和を調和するのか?**

『標準中医内科学』には次のように記載されています(6)。「桂枝は温経解肌に、白芍は和営斂陰に作用します。両薬を組み合わせることで、桂枝の散と白芍の収の働きにより営衛を調和することが可能です。生姜・大棗・甘草を組み合わせると、営衛を調和する作用を支援します。発汗が多い場合は、竜骨・牡蛎を適宜加えて固渋斂汗を促します」。

二宮先生の症例では、気の巡りを客観的に評価するために手掌底発汗検査が行われました。先に述べた慢性蕁麻疹の症例では、桂枝加竜骨牡蛎湯により効果が得られ、手掌の発汗量が69.4%から42.8%に減少しました。ストレス下での発汗量も99.9%から33.6%に大幅に減少しました。今後は、さらなる症例を重ねて桂枝湯証について議論したいと思います。

**結語**

1.桂枝湯の重要性を再認識した。桂枝湯は営衛不和を調和させる。

2.皮膚における営衛の概念を解剖学的に考察した。

3.慢性蕁麻疹は、衛気の力が弱くなる夕方から夜にかけて起こりやすい。

  栄衛不和による蕁麻疹は桂枝湯加味方が有効である。

**文献**

1.劉 燕池、他. 詳解・中医基礎理論. 東洋学術出版社.千葉 2005.

103.

2.Benias, P.C., Wells, R.G., Sackey-Aboagye, B. *et al.* Structure and

Distribution of an Unrecognized Interstitium in Human Tissues. *Sci*

*Rep***8,** 4947 (2018).

3.Brown, T.M., Krishnamurthy K. Histology, Dermis.

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK535346/

4.蕁麻疹診療ガイドライン 2018 日皮会誌:128(12),2503,2018

5.二宮文乃. 漢方により内側から皮膚疾患を考える. 日東医誌

2009;60:135-144

6.張 伯臾 , 鈴木 元子 , 向田 和弘 他 .標準中医内科学. 東洋学術出

版社.千葉 2011. 126